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【今日の一枚】
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Chairlift - Something [Young Turks 2012]
プロデュサーにAlan Moulder翁が名前を連ねてますね。
まだまだ現役バリバリだなー。
Imogen Heapを髣髴させるVocalのCaroline Polachek嬢はWashed Outを初めとして色んなバンドの客演に引っ張りだこ状態の模様。
【今日の一冊】
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死都ゴモラ 世界の裏側を支配する暗黒帝国 - ロベルト・サヴィアーノ (著) ・ 大久保 昭男 (訳) [河出文庫]
あらゆる行動の中心、権力の中枢にいること。すべてを手段として利用すること、自分自身だけを目的として。それは道徳に反する、倫理のない生活はありえない、経済には自らなる制約があり、従うべきルールがあるなどと唱えるのは、支配し命令することのできなかった者や市場につまずいた者の言い種である。倫理や道徳は敗者の限界であり、自己弁護であり、すべてを操り、すべてに打ち克つことのできなかった者の泣き言である。法律にはそれ自体の規則があり、正義はまた別のものである。正義とはすべての者に関わる抽象的なもので、人間を無罪とするか有罪とするかをどう解釈するかによって認められもするものだ。有罪の大臣、有罪の法王、有罪の聖人、有罪の異端者、有罪の革命家、有罪の反動家。裏切った者、殺した者、誤った者すべてが有罪である。年をとった者、死んだ者も有罪である。敗れた者、つまずいた者も有罪。正義も不正義も、具体的な事実のなかで検証されてはじめて意味をもつ。勝利か、敗北か。なしとげたか、つまずいたか。誰かに侮辱され悪しざまに扱われれば、それは不正義であり、反対に好遇されれば正義なのだ。
クランの権力を考える時、こうしたことの意味の前に立ち止まらなければならない。それで充分だ、充分でなければならない。これが正義評価の唯一の尺度である。残りは宗教のようなものにすぎない。あの有無を言わせぬ経済は、この論理によって成り立っている。カモリスタが追い求める事業ではなく、カモリスタを追い求める事業というものがある。犯罪企業の論理、カポたちの思考形式は、最も極端な新自由主義と合致する。教示された規準、強制された規準は、利潤、あらゆる競争者に対する勝利という規準である。残りはゼロだ。残りは存在しない。権力が全員の生と死を決める。権力が一つの製品を作り出し、市場の儲けを吸い上げ、最前線地帯に投資をする。刑務所を、あるいは生命を請け負うのも権力である。十年、一年、一時間、権力を握るということ。その長短は重要ではない。本当に生き、命令すること、これこそが重要である。
これじゃあ「ナポリを見て死ね」じゃなくて「ナポリを見たら死ぬ」じゃあないか。