2010年7月26日月曜日

星加坡海鮮共和国

土曜の猛暑の中のラウンドは41・41=82。
全身から汗が噴き出しっ放しで本当に倒れるかと思いました。

今日が女房の誕生日ですので昨晩前倒しのお祝いディナー
子供が食えるモンがあるか心配でしたが杞憂でありました。
チリクラブ、旨かったっす。

今年の誕生日のお祝いはコレにしました。
そろそろ子供達も遊んでくれなくなりそうだし、夫婦共通の趣味もあったほうがイイだろう、というコトで。
一緒に麻雀覚えようか、なんてハナシも出ましたが、そりゃもうちょっと先にします。

【今日の一枚】



Sun Kil Moon - Admiral Fell Promises [Caldo Verde Records 2010]

作りが簡素になる程に、濃密な空気が醸成されていく。

2010年7月17日土曜日

Cut Loose

昨日都内某所で芸者さんと金毘羅フネフネ。
おてもやん、良かったです。

【今日の一枚】



School of Seven Bells - Disconnect From Desire [Vagrant Records 2010]

もうちょっと羽目を外してくれたほうがヨカったかも。

【今日の一冊】




山崎朋子 - サンダカン八番娼館 [文春文庫]


からゆきさんにかぎらず売春婦についての研究というと、多くの場合、その悲惨な境遇の報告とそれにたいする研究者の同情のみが強調されて、<彼女らの人間的価値>については全く切り捨てられていたと言える。むろん、売春婦研究の目的は、つまるところ売春の社会的根絶にあるのであって、彼女らの人格評価にあるわけではないから、なかば必然的に売春生活の悲惨なありさまの報告とそれへの同情に傾くのであろう。けれども、からゆきさんをはじめ多種多様な売春婦たちのなかには、肉体を売って生きなければならないという同一の条件のもとで、絶望して自堕落になって行く人がある一方、どん底の汚濁を見極めたまさにそのことに学んで人格的に円熟し、思想的・哲学的な深みにまで達する人もあるのだ。そしてこのことは、従来の売春婦研究から漏れていることであればあるほど、みずからの春を鬻(ひさ)がずしては生活できなかった底辺女性の名誉のために、わたしはここに明記しておかなければならないと信ずるのである。



娘が中学生になったら是非読ませよう。

2010年7月12日月曜日

Anachronism

先週のお客さんのコンペは41・42の83。
バーディーひとつ、3パットは2回だけど、1メートルくらいをことごとく外しまくり。
基本的に「打てていない」ので、高麗グリーンだといつもにまして入らんです。

【今日の一枚】



Rasputina - Sister Kinderhook [Filthy Bonnet Co. 2010]

愛すべき時代錯誤、アメゴス歌謡。

2010年7月5日月曜日

なまえ

週末は群馬でラウンド
珍しく3パットは1回、バーディー2つで37・42の79。
最後がいつだったか思い出せないくらい久しぶりの70台。
ゴルフ場の名前が良かったのかな。

【今日の一枚】



The Innocence Mission - My Room in the Trees [Badman Records 2010]

聴く程に、心洗われる。

2010年7月2日金曜日

へいさーほい

スマートフォン買いました。
次はガラケー&Touchにしようなんて思ってたのですが。
ネックだった音楽管理もコレでなんとかなりそう。
まあ比べちゃうと色々とナンなんでしょうけど、とりあえず一台にまとめられて良かったです。

【今日の一枚】



Cowboy Junkies - Renmin Park [Latent Recordings 2010]

人民公園とは意表をつかれました。

【今日の一冊】



溝口 敦 - 中国「黒社会」の掟 チャイナマフィア [講談社+α文庫]

中国がヘゲモニーを握るのは単に政治や経済、軍事など表の面に限らない。表の動きと連動して、それを支え、支えられる形で裏側の組織犯罪のグループの世界でも、やはり中国の時代が来つつあり、現に来ていることを思い知らされたのである。人数の多さ、広範囲に及ぶ海外ネットと海外の拠点、対象とするマーケットの広さ、北京語という共通の意思疎通手段、現実志向と現実的に優れた適応能力、現世的な欲望と利己主義の激しさ、無神論的であることを超えて無倫理的といいたくなるほど自他ともの人命に対する軽視と無視、暴力と武器における練度…どれ一つとっても、チャイナ・マフィアの前に日本の暴力団など(恐らくイタリア系マフィアも)物の数ではない。チャイナ・マフィアは今この時点でも、世界最強の組織犯罪集団なのだ。

これが書かれたのが1994年。いまどういうことになっているかはあまり想像したくないです。