2011年7月1日金曜日

椿ヶ丘

【今日の一枚】



Idaho - You Were A Dick [IdahoMusic 2011]

6年間も一体ナニやってたんだよう。



【今週のゴルフ】

猛暑のなか千葉でのラウンドは43・38=81。
滝のような汗をかきました。

【今日の一冊】



橘 玲 - 貧乏はお金持ち 「雇われない生き方」で格差社会を逆転する [講談社プラスアルファ文庫]


 何年か前の話だが、、ある二代目社長の話を聞く機会を得た。オーナー経営の地方の建設会社で、彼は従業員の福利厚生のためにサラリーマン法人化の導入を試みていた。希望する社員は雇用契約から業務委託契約に変更できるが、仕事内容も含めそれ以外の条件はこれまでと変わらず、法人化のメリットだけを享受できるという有利な提案だったが、なんど説明しても一人の応募者もなかったという。
 サラリーマンが独立を躊躇する最大の理由は、雇用の安定が失われるのを恐れるからだ。だが、家族経営の中小企業ではオーナーの意向がすべてで、労働基準法の条文が生活を守ってくれるわけではない。オーナーが待遇を変えないと約束し、隠れた人件費の顕在化と税・社会保障費の削減で収入が20%ちかく増えるなら悪い話ではないと思うのだが、それでもひとはまだ会社に属することを選ぶのだ。
 ひとは群れの中でしか生きられない動物だから、「どこにも属していない」というのは根源的な不安である。心理学者のエーリッヒ・フロムは、これを「自由からの逃走」と呼んだ。中世の封建的束縛から解放された近代人は自己責任で行動する自由な個人を生み出したが、私たちはそれがもたらす孤独や無力感に耐えられず自由から逃げ出し、国家や民族といった権威に依存して自己同一性(アイデンティティ)を確認しようとする。フロムはこれによってナチズムを説明したが、依存の対象が会社であっても同じことだ。
 近代社会は、「自由」に至高の価値を見出すことによって成立した。だが私たちは、実は心の底で自由を憎んでいる。社畜礼賛の風潮を見れば明らかなように、ひとはもともと自由になど生きたくないのである。



そんなものなのかも知れませんのう。