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【今日の一冊】
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Sister Crayon - Bellow [Manimal Vinyl 2011]
西海岸ドリーム・ポップの新星!
【今日の一冊】
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秋尾沙戸子 - ワシントンハイツ GHQが東京に刻んだ戦後 [新潮文庫]
「国家売春」プロジェクトが動き出したのは、早くも玉音放送の翌日、8月16日のことである。同じ日、顔を黒く塗った女性たちが「強姦疎開」のために上野駅から列車に乗っていた。政府は女性たちにモンペ姿になるように促し、「女性は米兵に笑顔を見せるな」という回覧板が隣組を通して回った。
国務大臣だった近衛文麿が中心になって、日本政府をあげて慰安所が作られた。ただし、表向き政府が出資するわけにはゆかず、内務省から大蔵省を通じて日本勧業銀行が業者に5千万円(3千万円という説もある)を貸し付けた。大蔵省の主税局長は後の首相、池田隼人だった。
東京では、警視庁が中心となって業者との懇談が始まっていた。被災し、渋谷の広尾小学校に移っていた警視庁保安課に、東京料理飲食業組合の役員たちが呼び出されこう告げられた。
<保障占領とはいいながら、戦後には略奪や暴動がつきもの、どんな事態が起こるかわからない。そこで4千万の大和撫子の純潔を守るための”防波堤”をつくることが、ぜひ必要である。そのためには芸娼妓・酌婦など商売女をかり集め、アメリカ兵のセックスの欲望を”組織的に解決”する慰安施設を作らねばならない>(『みんなは知らない国家売春命令』)
その後、公然と慰安婦募集が行われている。銀座通りなどに看板を掲げて堂々と女性を集め始めたのだった。
「新日本女性に告ぐ。戦後処理の国家的緊急施設の一端として進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先的協力を求む
「女事務員募集。年齢18歳から25歳まで。宿舎・被服・食料など全部支給」
そのトリッキーな文言が、住居も食料もない女性たちを騙したといっても過言ではない。この募集広告を誤解して応募した素人も含め、集められた女性たちが慰安所第一号である大森の「小町園」に送り込まれたのは、8月26日、占領軍の最初の部隊が厚木に到着する二日前のことである。
学校では教えてくれない歴史、ですな…。